2013年05月11日

4月 片倉小十郎の城下町白石へ

現代宮大工の美技が極まる
片倉家代々の名城。

2013年4月某日

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07白石城より蔵王10s.jpg08白石城11s.jpg12神明社01s.jpg

 陽気が続いた4月中旬。次々と届く満開の知らせに背中を押され、連れと2人、白石へと向かう。宮城県南に位置し、蔵王町と隣接する白石市は伊達家の重臣で、その武勇と智謀で知られた片倉小十郎景綱の城下町だ。市内各所には名所・旧跡が数多く点在し春の街あるきに事欠かない。市街地へは仙台から東北自動車道経由で約45分。現地は花の季節に重ね、6月まで県下で開催されている大型観光キャンペーン中で活況を呈していた。
 最寄りの無料駐車場に車を停め、まずは街のシンボル「白石城」へ。別名益岡(枡岡)城とも呼ばれるこの城は、仙台藩伊達氏の支城として片倉氏が260年に渡り代々居住した。明治初頭の廃城処分で、ほとんどの建物が破却されたが“三階櫓(天守閣)”など本丸の一部が平成7(1995)年、戦後の木造復元天守閣では高さ、広さともに日本最大級を誇る城郭建築としてよみがえった。現在、一帯は約300本もの桜が楽しめる城址公園として親しまれている。再興にかけた人々の情熱を受け、満開の花に包まれた城の姿は一層、威容を称えていた。城内部の見学は有料(大人300円)で、近くにある武家屋敷との共通券(大人600円)も購入できる。三階櫓からは景綱も眺めただろう白石市街や蔵王連峰を望む、胸のすく絶景が広がっていた。
 武家屋敷へ向かう道すがらには伊勢神宮の分社である「神明社」もある。春の陽射しに佇む社は、第60式年遷宮で解体された内玉垣御門の一部が下賜された山門など、質素ながらも凛とした風格を漂わせていた。
 


29沢端川風景04s.jpg21武家屋敷界隈02s.jpg26武家屋敷06s.jpg23武家屋敷03s.jpg
31蔵王酒造02s.JPG34蔵王酒造07s.JPG35蔵王酒造08s.jpg
36壽丸屋敷02s.JPG40壽丸屋敷11s.JPG

桜揺れる水際の花道。
歩いてめぐる旅ぜいたく。

 藩政時代に造られたという水路・沢端川の景観を活かした白石の街並みは、歩いてめぐるのが真骨頂。桜の下を優雅に泳ぐ鯉の姿を眺めつつ、住宅街を進むこと約10分。やがて「武家屋敷 片倉家旧小関家住宅」に到着した。片倉家に仕える中級武士だった旧小関家は築260余年。建物は木造平屋建て、寄棟、萱葺などの実に簡素な造りで、武家というより農家に近い印象だ。資料では当時の武家屋敷は農家建築から発生し武家流に変化していったとある。苔むした庭にはシラカシの大木が、春の木漏れ陽を落としていた。
 再び水路をたどりながら街の中心部へ向かう。ほどなく「蔵王酒造」と書かれた大きな建物が現れた。水の都には旨い酒がつきものだ。蔵と隣接する“蔵王酒造展示館”には酒造りの道具や様々な酒器の展示、ここで醸される酒の小売販売コーナー等があった。明治6(1873)年創業の蔵王酒造は、地元産の酒造好適米を使用し、自家精米による酒造りにこだわる老舗だ。
 「よろしければ試飲をどうぞ」館内で出会った蔵王酒造の関口さんにきさくに声をかけられ、運転手の悲哀をまとう私を尻目に、連れが嬉々と手にしたのは桜色の低アルコール純米酒「花撫子」(ロゼ・360ml入735円)。美しい色は“赤色酵母”と呼ばれる酵母が持つ自然の色らしい。気になる味わいは…デザートワインのようにフルーティで濃厚。これが自然の甘みと聞いて連れも驚いている。醗酵させるほど辛口になる日本酒は、甘みや旨みを醸すことのほうが難しいのだという。興味深い話に一気に酒談議が盛り上がる。
 土産の美酒を購入し、そろそろ宿へ、と駐車場へ戻る途中、ひときわ目を引く建物があった。「壽丸(すまる)屋敷」は、長い縁側に美しい唐破風の玄関、続き間の洒落た洋間もある明治中期の豪商の館だという。建物は現在、まちづくりの拠点として活用され、誰でも自由に見学できる。街あるきで是非、立ち寄りたい必見スポットだ。
 

51ゆと森夕s.jpg50ゆと森夕s.jpg53ゆと森朝s.JPG54ゆと森朝s.jpg
60片倉家御陵所02s.JPG63延命寺02s.JPG66延命寺09s.JPG
69当信寺05s.JPG70当信寺06s.JPG70当信寺07s.JPG

遠く城を見守る当主廟と、
街に息づく歴史の忘れ形見たち。

 蔵王の桜はまだ少し早かったが、宿は何やら盛況のようだ。聞けば、ゆと森倶楽部にあるレストランが「野菜ソムリエアワード」の認定レストラン部門にて、全国でベスト5に輝き感謝企画が開催中とのこと。春の喜びを映したメニューは、いつにも増して華やかだ。4月下旬には客室のリニューアルも完成し、5月中はお得な企画もあるらしい。緑したたる夏に向かい、益々賑わうことになりそうだ。
 翌朝、宿をチェックアウトした後、晩春の冠雪をいただく山並みを望みながら、再び白石へと車を走らせる。今日の目的はまず、片倉家10代の当主が眠る「片倉家御廟所」だ。廟所は市街地から少し離れた愛宕山の薄暗い杉木立のなか、花崗岩の玉垣に囲まれていた。墓標代わりの10体の阿弥陀坐像はみな、柔和な表情だ。廟所は延宝8(1680)年、三代景長が城を望むこの地を自ら選び歴代の墓所にした、とある。坐像の視線の先には遠く白石城が見え、今なお城下を見守る猛者の本懐が胸を打つ。駐車場から北へ数分歩いた先には、幼少の景綱を母に代わり保育・教育した異父姉で賢婦人の喜多の墓もあった。
 興味の尽きない歴史物語に触れ、次に訪れたのは、かつての白石城厩口門が山門として移築されている「延命寺」。寺の山門風に一部、改修されたというかつての城門のザラリとした木肌に触れていると、風雅な凧揚げに興じていた寺のご住職が「材は400年前のままですよ」と、教えてくれた。延命寺から車で数分の場所にある「当信寺」の山門もまた、城の二の丸大手門の二の門が移築されたものだ。藩政時代、この門も城内に時を知らせる太古櫓として改修され、二階に見える大きな眼象窓や側面の丸窓はその名残だという。ご婦人が花見を楽しむ寺の境内裏手には、二代目小十郎重長の器を見込み、大阪夏の陣で敵将の真田幸村が託した遺児、阿梅と大八の墓もあった。
 
 

74やまぶき亭04s.jpg73やまぶき亭03s.jpg75やまぶき亭02s.JPG
71白石温麺協同組合s.JPG71s神石白石s.JPG81蔵楽02s.JPG
83蔵楽04s.jpg82蔵楽03s.JPG84蔵楽05s.JPG

時に育まれた味わいと人情。
城下町にうまいものあり。

 初代景綱の城下町整備により、水路や小堀が整備された白石は“水車”が動力として活かされた製粉業が発展し製麺業が栄えた。今から約400年前、胃腸の弱い父親のため、孝行息子の鈴木味右ェ門が考案したとされる白石温麺は、油を使わない製法と、10センチ程の食べやすい長さが特徴の白石名物だ。市街には温麺メーカーの直売所や専門の飲食店が数多くある。そのうちの一軒「やまぶき亭」の暖簾をくぐる。明治後期の商屋を改装した店内は雰囲気もたっぷり。私は醤油、胡麻、胡桃の3種のつけダレが味わえる人気の「うーめん三昧(冷)」(790円)、連れは「葛かけうーめん(温)」(980円)を注文。意外にコシのある麺に加え、見た目のボリュームを裏切る、するりといただけてしまう味わいは、やはり温麺の奥深さか。食事後、周辺を少し散策すれば、昭和初期の建築で「奥州白石温麺共同組合」の事務所として、今なお現役の建物や、“白石”の名の由来となった「神石 白石」もあり、愉快な発見は尽きない。
 散策の小休止がてら訪れた「蔵楽 キッチンオルト」も、明治時代の蔵を改装したイタリアンカフェレストランだ。オーナーの川村さんの話では、店がオープンしたのは2012年の4月とのこと。イタリア語で“野菜畑”を意味するこの店は、シェフでご主人の実家が栽培する、有機野菜を使った体にやさしい料理と、こだわりのスイーツが自慢だという。オーダーしたケーキセット(590円)も甘さ控えめの味わい。メニューには景綱にあやかった温麺を使ったユニークな「小十郎サラダ」もあるという。観光客にも愛される“地元の洋食屋”が夢です、と語る姿が心に残った。


86碧水園03s.JPG87碧水園04s.JPG88碧水園06s.jpg90碧水園09館長s.JPG
92傑山寺02s.JPG93傑山寺03s.JPG
96傑山寺07小十郎墓樹s.JPG97傑山寺09s.JPG99傑山寺11谷風墓標s.JPG

誇り高く天を目指す老樹に
名将の想いを重ねて。

 片倉家の菩提寺「傑山寺」へ向かう道中、立ち寄った「碧水園」は、本格的な茶室と能楽堂を備えた興味深い施設だ。突然の訪問にも関わらず、快く館内を案内してくださったのは館長の高子さん。京都西本願寺北舞台を手本にした能楽堂と大寄茶会もできる2つの茶室は、いずれも素晴らしい佇まい。何でもここはもと市長宅跡で、見事な庭園は大正時代の名園にも選ばれた由緒あるものらしい。園では定例茶会や能楽の公演も開催されているそうだ。
 凛とした日本の古典文化に触れ、背筋の伸びる想いで傑山寺にたどり着いた頃は、すでに夕暮れ間近。初代片倉小十郎景綱公が1608(慶長13)年に建立したこの寺は、景綱はじめ、歴代の城主とその奥方らが弔われている。端正な伽藍をはじめ幾何学的な石庭など、いかにも禅寺らしい清々しい佇まいが心地いい。開創400年を機に改修されたという新本堂の前には、咲き誇る花越しに、昨年完成した初代片倉小十郎景綱の像が穏やかなまなざしで私たちを迎えてくれた。笛の名手らしく手には愛用の横笛“潮風”を携えている。
 目指す稀代の智将の墓標は、寺の裏山深く、鬱蒼とした杉林に鎮座していた。1本の巨大な杉である。景綱の墓は敵に荒らされることのないよう、一本杉を墓印とし墓標を造らなかったといわれる。信念を貫き通した武将の生きざまのように、樹勢は今なお衰えず雄々しく天を目指していた。県の風致地区でもある寺周辺は、秋には錦の屏風を広げたような絢爛たる紅葉で彩られるという。「また秋に来たいわね」と、つぶやく連れに私も共感だ。境内には「谷風の前に谷風なく、谷風の後に谷風なし」と、その無敵ぶりを評された白石が生んだ名力士、初代谷風梶之助の墓もある。生前、自らが背負ってきたと言われる巨大な墓石は、不世出の力士の存在を静かに刻み続けていた。

 片倉家代々の希少な遺構を、未来へ伝える資産として誇りを貫く城下町、白石。市内にたゆたう水路は、景綱がこの地に遺した血脈のように、心安らぐ景色のすみずみに、平和で親密な人々のもてなしに受け継がれている。ここに来たら、ぜひ歩いてめぐる旅の醍醐味を感じてほしい。心躍る発見はいつも、まだ見ぬ街角で私たちを手招きしているに違いない。


【片倉小十郎の城下町白石へ 詳細】

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 ↓ 街歩き地図はこちら
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■白石城

別名益岡または枡岡城と呼ばれ、後三年の役(1083-1087)で源義家に従った刈田経元が築き、その後、奥州藤原氏、北条氏、白石氏、蒲生氏、上杉氏を経て、伊達領以後は、主として仙台藩伊達氏の支城となり、初代片倉景綱以後、約260年に渡り片倉氏が居住した。白石城は九州の八代城などと並び、江戸幕府の“一国一城制”の対象外とされ明治維新まで存続した。三階櫓は支城という格と幕府への配慮から“天守”の名を控え大櫓と名付けられたという。幕末から明治初頭には戊辰戦争の舞台として、奥羽25藩と北越6藩がこの城に集い「奥羽越列藩同盟」を結んだことでも知られる。明治初頭の廃城令で廃城処分とされ、ほとんどの建物は破却されたが、東口門は当信寺山門に、厩口門が延命寺山門に、城門(どこか不明)が耕徳寺山門に、煙硝蔵が個人宅にそれぞれ払い下げとなり現存している。
1995(平成7)年、史実に基づき、城廓として機能した1823(文政6)年再建後の最晩年の構造による三階櫓、大手門として本丸の一部を忠実に復元。日本古来の建築様式にならい、数百年の歳月に耐え得る全国的にも数少ない木造復元建築として、学術的にも高く評価されている。敷地内には約300本の桜が植えられ市民憩いの公園となっている他、白石城歴史探訪ミュージアムもある

住所/宮城県白石市益岡町1-16
TEL/0224-24-3030
公開時間/[4〜10月] 9:00〜17:00
        [11〜3月] 9:00〜16:00
料金(白石城入場料)
  /大人(18歳以上) : 大人:300円 
   高校生 : 高校生:150円  
     中学生 : 中学生:150円 
     小学生 : 小学生:150円 
※共通入館券(天守閣、3Dハイビジョンシアター、武家屋敷)大人600円、小人(18歳未満)300円あり
※障害者・高齢者・団体割割引有・団体割引条件:20名
駐車場/大型車13台、普通車210台
http://www.shiro-f.jp/shiroishijo
 


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●白石城歴史探訪ミュージアム

刀剣、甲冑、火縄銃、古文書等の片倉家ゆかりの品々の展示をはじめ、白石城の歴史や復元の過程を200インチの立体ハイビジョンで紹介。地場産品や白石城のお土産を中心とした売店や軽食コーナーもある。

住所/白石市益岡町1-16(益岡公園内)
※問い合わせは白石城に同じ

 
●片倉景綱(かたくら かげつな)
仙台藩片倉氏の初代。伊達家中で「武の伊達成実」と並び、「智の片倉景綱」と呼ばれた重臣。幼少期より智勇に秀で19歳のとき、当時9歳の梵天丸(政宗の幼名)の傳役(養育係)となり、その武勇・智謀は秀吉、家康からも愛され特別な待遇を受けたという。 一説によれば大変な笛の名手であったとされる。景綱の通称「小十郎」は景綱以降、代々の当主が踏襲して名乗るようになった。

■神明社
白石城に隣接した社で、807(大同2)年、平安時代、坂上田村麻呂が創建したと伝えられる。本来、白石の別の地に鎮座していたが、度重なる大火で社殿を焼失し、明治33年に現在の地(白石城二の丸跡)に移転。現在の社殿は1935(昭和10)年に改築。天照大御神を主祭神とし、伊達政宗と片倉景綱が合祀され、白石市内外の多くの人々に親しまれている。山門は伊勢神宮の第60式年遷宮(1973)で解体された内玉垣御門の一部を下賜されたもの。境内には江戸時代に京都北野天満宮から分霊を受けたという天満宮(祭神は学問の祖神・菅原道真)もあり、受験生や家族連れの参拝者も多い。
住所/宮城県白石市益岡町1-17
TEL/0224-25-1180
http://s-shinmeisya.jp/

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■片倉家中武家屋敷旧小関家
白石城の三の丸外側にある沢端川沿いに建てられた江戸中期の中級家中(武士)の屋敷。建物は木造平屋建て、直屋造り、寄棟、萱葺など伊達藩内で見られる農家建築に近く、武家流への変化の初期と考えられている。1991(平成3)年に白石市に母屋、門、塀が寄贈されたのを機に創建当時の姿に復原され、1993(平成5)年に宮城県指定文化財に指定されている。

住所/宮城県白石市西益岡町6-52  
TEL/0224-24-3030
公開時間/[4〜10月] 9:00〜17:00
        [11〜3月] 9:00〜16:00
入場料/大人200円、小人100円
※共通入館券(天守閣、3Dハイビジョンシアター、武家屋敷)大人600円、小人(18歳未満)300円あり
※障害者・高齢者・団体割割引有・団体割引条件:20名
定休日/年末年始(12/28〜31)
駐車場/15台
http://www.shiro-f.jp/shiroishijo

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■蔵王酒造
1873(明治6)年創業の老舗酒造会社。酒造好適米の美山錦を宮城県で最初に使った蔵としても知られる。蔵王山系の伏流水を仕込水に、地元産酒造好適米の契約栽培米等を使用した自家精米による酒造りは、全国新酒鑑評会 5年連続金賞など数々の受賞歴を持ち定評がある。

住所/宮城県白石市東小路120-1
TEL/0224-25-3355
http://www.zaoshuzo.com/

●蔵王酒造展示館
酒蔵敷地内に平成5年にオープンた施設。館内には酒にまつわる道具や酒器展示の他、小売販売コーナーがある。

TEL/0224-25-3355
開館時間/10:00〜16:00
休館日/月ごとに変則(事前に問い合わせのこと)
入館料/無料
駐車場/5台 
※団体の場合は事前に要予約のこと
※【酒蔵見学】12月下旬から翌年2月末まで(要予約)

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■壽丸屋敷(すまるやしき)

白石市中町にある明治中期の店蔵や大正時代の母屋からなる商家屋敷。土蔵造の店蔵は明治中期、母屋と金庫蔵は1923(大正12)年に建てられたもので、和洋折衷の造りが特徴。中でも玄関欄間のベネチアンガラスや店蔵の棚階段は見もの。持ち主の渡辺家より白石市に寄贈された現在は白石まちづくり鰍ェ管理し、中心市街地活性化を目的にイベントの開催、作品展のギャラリーとして活用されている。「すまる」 は渡辺家の屋号。

住所/宮城県白石市中町48-53
TEL/0224-25-6054(白石まちづくり株式会社)
営業時間/10:00〜17:00
入館料/無料
定休日/日曜、祝日不定休
駐車場/有り
http://www.shiroishi.info/index02.htm

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■片倉家御廟所
愛宕山の中腹にある片倉家10代までの城主、および仙台藩主吉村公の息女だった7代村兼夫人の廟所。3代景長は片倉家代々の城主の墓所を白石城の見える福岡蔵本の愛宕山に定め、初代景綱と2代重長の墓を1680(延宝8)年、景綱の命日にあたる10月14日に傑山寺から改葬し、仙台の石工に阿弥陀如来座像を刻ませ墓標とした。廟所の傍らには、初代景綱に殉死した6名の家中武士の墓碑も建立されている。市町村指定重要文化財。

住所/宮城県白石市福岡蔵本字愛宕山
問い合わせ/0224-22-1321(白石市商工観光課)
駐車場/30台

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■喜多(きた)の墓
片倉家廟所の西北へ約100m。観音堂の裏山にある景綱の異父姉の墓。喜多は文武両道に通じ、若い頃から“小納言喜多”と呼ばれ、伊達政宗の乳母として、政宗の素地、人格形成に強い影響を与えたとされる。また、幼くして両親を失った弟小十郎(景綱)の母代わりとして、その育成に大きく貢献したと伝えられている。 小十郎の黒鐘の大馬験(馬印)は「その名を天下に鳴り響かせよ」という意味を込めた喜多の発案といわれ、現在この黒鐘は白石市の市章にもなっている。
住所/宮城県白石市福岡蔵本字平屋敷
問い合わせ/0224-22-1321(白石市商工観光課)
駐車場/無し

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■延命寺

天正年中(1572〜191)、中道坊卓彦俊雄法印が、往古潮石寺と称した跡に建立した真言宗智山派の寺院。延命寺の山門は明治維新後、かつて白石城厩口門であったものを移築したもので、三間一戸の櫓門(楼門)形式で切妻の瓦葺きである。厩口門は移築する際に城門を寺の山門風に改修したと考えられている。1層目の両側に花頭窓、2層目には眼象窓を設えるなどの改修も見られる。
住所/宮城県白石市字不澄ケ池68
TEL/0224-26-3216
駐車場/有り

64延命寺04.JPG63延命寺02.JPG

●ころり地蔵尊(安珍地蔵尊)
延命寺の境内にある地蔵尊。縁起によれば、白石に生まれた安珍という修行僧に恋した村の名主の娘清姫が、その情念から大蛇となり、安珍が姫の追手を逃れ身を潜めた道成寺の釣鐘に巻きつき共に燃え尽きたという。その供養のために造立したのがこの地蔵尊といわれる。いつからか「ころり地蔵尊」と呼ばれ、この地蔵尊の足を人知れずなめると、無病で長生きをして突然ころりと大往生すると伝えられている。

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■当信寺

法然上人によって開かれた浄土宗の寺院で、1597(慶長2)年、良益上人によって開山。城下町の整備区画にともない1605(慶長9)年、現在地に移り片倉家臣、小片丹後仲知が寺院を建立した。当信寺の山門は白石城の二の丸大手門の二の門が明治の初頭に払い下げられたもので、三間一戸の櫓門(楼門)で、切妻、瓦葺き。藩政時代、太鼓櫓として兼用され、2層目に眼象窓を取り付けたり、狭間などの開口を無くしたりといった改修が見られる。
住所/宮城県白石市本町62
TEL/0224-26-3473
駐車場/無し

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●阿梅・大八の墓

当信寺の境内にある墓。阿梅と大八は、1615(元和元)年の大坂夏の陣で戦った敵将、真田幸村の遺児。自分の最期を覚悟した幸村は、智勇兼備を見込んだ二代片倉重長に阿梅、阿菖蒲、おかね、大八の4児を託し、重長は幸村のこの遺児を白石城で密かに教養したとされる。中でも次男の大八はのちに片倉四郎兵衛守信と名乗り、伊達家に召抱えられた。片倉重長はまた、幸村夫妻の菩提を弔うため大平森合に月心院を建立したといわれる。

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■白石うーめん やまぶき亭(白石商家資料館内)
明治後期の商屋を改装した建物が特徴的な、温麺協同組合の直営店。単品から御膳までメニューを各種とりそろえ、四季を通じて様々な温麺が楽しめる。人気は醤油、くるみ、ごまの3種類のつゆが楽しめる「うーめん三昧」(790円)。店内では温麺の他、こけしや和紙、漬物など白石の特産物も展示・販売している。

住所/宮城県白石市城北町6-13
TEL/0224-25-2322
営業時間/[平日] 11:00〜15:00  
     [土・日・祝日]11:00〜16:00
※夜は予約制(10名以上の宴会)
定休日/水曜日
駐車場/大型バス8台、乗用車13台

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■奥州白石温麺共同組合

現在、奥州白石温麺共同組合の事務所として使用されている昭和初期頃の建物。木造2階建て、モルタル仕上げ、陸屋根で洋風建築に見せるため縦長の上げ下げ窓を採用。柱や梁を外側に見せる事で立体感を出している。正面は大きな三角形を模る事で妻入りの建物のように見える。

住所/宮城県白石市沢端町1-21
TEL/0224-25-0124
http://www.shiroishi-umen.com/top.html

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●白石温麺(しろいしうーめん)

素麺の一種で、宮城県白石市で生産される特産品。一般の素麺が生地を延ばす際、表面の乾燥を防ぐために油を塗るのに対し、温麺は油を用いないのが特徴。長さ10センチメートル程度の短い束で売られることが多く、醤油や味噌で作った汁で食べるのが一般的。食の多様化に伴い現在は、他の材料を混ぜ込んだ変わり麺も製造されている。温麺は江戸時代初期、白石に住んでいた大畑屋鈴木浅右衛門が胃腸の弱い父親のため、旅の僧に教わった油を使わない麺の製法を苦心の末、会得して創始したと伝えられる。江戸時代に白石の特産だった和紙、葛粉、温麺は“白石三白”と呼ばれた。このうち白石葛は廃れ、白石和紙の製造は一か所に限られるが、温麺は今でも盛んに作られている。

■神石白石(しんせきしろいし)

高さ1.32m、直径1.05m、短径0.6m。白石の地名の由来となった石で、江戸時代頃から玉垣をめぐらし祀られている。灰白色のやや軟らかい擬灰岩は根は遠く宮城郡根白石(現在仙台市泉区)まで続いているとされることから良縁祈願の石とされている。

住所/宮城県白石市沢端町4
問い合わせ/0224-22-1321(白石市商工観光課)

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■蔵楽 キッチンオルト
2012年4月オープンしたイタリアンカフェレストラン。建物は明治時代の蔵を改装。“オルト”はイタリア語で野菜畑の意。その名のとおり、自家栽培の有機野菜による体にやさしい料理と、こだわりのスイーツ、厳選したワインや地酒が楽しめる。

住所/宮城県白石市中町53-1
TEL/022-425-0223
営業時間/11:00〜15:00、18:00〜22:00
定休日/不定休
駐車場/有り
http://sky.geocities.jp/kithenorto/

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■碧水園

京都西本願寺北能舞台を手本に吉野産の檜の柱、青森ヒバの床板等を用いて構成された能楽堂と、大寄茶会にも使用できる本格的な茶室を完備し、お茶・能・日本舞踊・お琴・香道・唄など、日本の古典芸能に気軽に触れることのできる施設。能楽堂は後部のガラス戸を開放して、見どころに庭園を取り込み、自然の中で演能をおこなっているような解放感が味わえる。定期的な能楽公演や各種体験学習、茶会などの他、一般開放もしている。

住所/宮城県白石市南町2丁目1-13
TEL/ 0224-25-7949
営業時間/9:00〜21:00
休館日/月曜日(祝祭日の場合は翌日)
http://www.city.shiroishi.miyagi.jp/section/con-edu/hekisuien/index.html

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■傑山寺

初代片倉小十郎景綱が1608(慶長13)年、片倉家の菩提寺として創建。妙心寺第11世・天心智寛大和尚の開山で、本尊は拈華釈迦如来立像。初代景綱・2代重長はこの寺に葬られていたが、3代景長が城主の廟所を愛宕山に定めて改葬。歴代の奥方や、江戸時代に活躍した力士の初代谷風等も葬られている。境内墓標として植えられている一本杉は初代片倉小十郎景綱公のもので、白石市の天然記念物になっている。片倉家と縁の深い北海道松前藩主、松前安広とその子孫の墓所もあり、本堂裏手には心字池を配する庭園や、井伏鱒二の書いた文学碑などもある。

住所/宮城県白石市南町2丁目7-20 
TEL/0224-25-9258
駐車場/有り
http://www.kessanji.jp/index.html

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●初代谷風の墓

片倉家の鉄砲組足軽の家に生まれた初代谷風梶之助(本名:鈴木善十郎)は、17歳で江戸へ出向き、“明神林”というしこ名で初土俵を飾ると、瞬く間にその才覚をあらわし、1713(正徳3)年、20歳で幕内に昇進。名を谷風梶之助と改め、片倉家のお抱え力士となった。人気力士を抱えることが大名の心意気を示す時代、その強さに惚れ込んだ松平藩主によって谷風は引き抜かれ、“讃州谷風”として四国高松12万石の松平家のお抱え力士となる。全盛期であった享保年間には、9年間の無敗記録を誇り、大関が最高位の時代に、最強の大関としてその名を角界にとどろかせた。1736(元文元)年、高松で没した谷風(享年43歳)の遺骨は自らの遺言により、故郷の領主、片倉小十郎公が眠る傑山寺に葬られた。墓石には「薫風相谷善男」と刻まれている。 (ちなみに、仙台市の匂当台公園にある谷風像は第4代目横綱・2代目谷風のもの)

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posted by zaoaruku at 21:51 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする